オリンピックスポーツ文化研究所 お知らせ

お知らせ 2025.07.31 令和7年度 研究活動報告

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する図書館特別展示(7/8~)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。

調査の結果は、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で間もなく公開予定ですが、プロジェクト3「オリンピックスポーツ文化研究所所蔵品の整理と目録・解題」では、第10号刊行に先立って、本学図書館課の協力のもと、特別展示を7月8日(火)よりスタートさせました。研究所は、調査・研究の成果を、学術論文として公開するのみならず、日体ファミリーのみなさんにも分かりやすく発信していきたいと考えています。ぜひ本企画に足を運んでいただき、今後に向けてご意見・ご要望をお寄せいただけますと幸いです。

展示の様子は後日お伝えいたします。研究所は、戦後80年を迎える2025年度より戦没同窓生名簿の作成をスタートさせました。本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございましたら、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【お問合せ先/宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日本体育・スポーツ史学会での研究成果公開(6/1)

プロジェクト2「オリンピック・パラリンピックの理念・価値と現代的課題」では、関口雄飛助教が、サッカーを対象にした歴史研究に従事しています。イギリスをはじめとする海外のサッカー史研究は盛んに蓄積されていますが、日本における研究はあまり進んでいません。

こうした研究状況を受けて関口助教は、日本におけるサッカー史を、レフェリーという新たな視点で捉え直すことを目指し、国内外の関係機関と情報交換を図りながら調査・研究を進めています。

5月31日(土)・6月1日(日)には、奈良女子大学において日本体育・スポーツ史学会の第14回大会が開催され、「1936年ベルリンオリンピックと日本のサッカーレフェリー」というテーマで口頭発表(発表25分、質疑10分)を行いました。

研究成果は、今年度中に学術論文としてまとめる予定となっています。

日本vsイタリアの一戦。互いの拳が顔面を捉えている。
竹之内響介(2015)『ベルリンの奇跡』東京新聞より転載。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(6月)

既報の通り、プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が中心となって、「オリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築」の一環として戦没同窓生名簿の作成を行っています。

6月は、戦後初の同窓生名簿とされる『日本体育専門学校同窓会並職員名簿(1948年版)』等の史料を参照し、まずは、1943(昭和18)年3月~1945(昭和20)年3月卒業の同窓生を中心に不明者・物故者一覧を作成しました。現在は、様々な史資料を突き合わせながら、戦没同窓生の特定を進めています。同時に、石井隆憲学長らプロジェクトメンバーの先生方にも、同窓会支部をはじめとする関係組織に情報提供を呼び掛けていただいています。

本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

【お問合せ先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

「同窓会並職員名簿」(1948年5月)

『大阪毎日新聞』1937年10月13日付、p.2。
当該記事は、1937(昭和12)年10月に第10回極東選手権競技大会排球日本代表選手で、浪華高等女学校(現・大阪女学院高等学校)体操科教諭であった野呂正文氏(1934年卒)の戦死を報じたものである(同氏に関しては今後紹介予定)。この時期の『大阪毎日新聞』では、戦死した府民の略歴が掲載され、スポーツ歴に関しても記されているケースが多々ある。本プロジェクトでは、このような情報も(もちろん精査が必須であるが)拾い上げている。

日本体育大学における戦没同窓生に関する調査・研究(5月)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井准教授と関口助教が中心となって、「オリンピック・パラリンピックを中心とした歴史の構築」の一環として戦没同窓生名簿の作成を行っています。5月は、戦後初の同窓生名簿とされる『日本体育専門学校同窓会並職員名簿(1948年版)』等の史料を参照し、該当者リストの作成をスタートさせました。

周知の通り、本年は、第二次世界大戦後80年という節目の年にあたります。先の大戦では、オリンピック関係者をはじめとする、実に多くの同窓生がその尊い命を落としました。いうまでもなく、その時代を知る同窓生は、年々少なくなっています。

再び体育・スポーツに汗を流すことが叶わなかった同窓生の無念に向き合わずして、真に現代社会における平和を考えることには繋がりません。当該時期の歴史を検証し、平和に対する宣誓を改めて表明する取り組みは、戦後、日体の門をくぐれた者にしか担うことができません。

ウクライナをはじめ、世界各地で戦争や暴力が止まない今だからこそ、戦没同窓生に関する調査・研究は、石井隆憲学長の了承のもとで、オリンピックスポーツ文化研究所が担うべき喫緊のプロジェクトと位置付けました。今年度は、図書館課をはじめとした各所と協力を図りつつ、その名簿(第一弾)の作成を目指しています。

本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)をお持ちの場合には、下記連絡先までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございます。予めご了承ください。

「同窓会並職員名簿」(1948年5月)
本学は1945(昭和20)年5月の空襲で本部棟をはじめとする8棟を焼失、書類の多くが失われた。上記名簿は、土浦移転(1946年)後、各都道府県同窓会支部の協力によって初めて作成されたものである。序文「編纂にあたって」によれば、上記名簿は暫定的なもので、4か月後の9月に完璧なものが編纂されると記されている。しかし現状その名簿の行方は不明である。

【お問合せ/宛先:日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。

日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生に関する最終調査(4/25)

プロジェクト1「日体大とオリンピック・パラリンピック」では、福井元准教授と関口雄飛助教が、戦後80年を前にした2024年度より、日体大の戦没オリンピアン・有本彦六先生(1936年ベルリンオリンピック体操競技日本代表)に関する調査を行ってきました。2024年度は、日本体育大学図書館、有本先生の故郷・三重県熊野市、当時の地元新聞が所蔵されている三重大学図書館、有本先生の親友であった松本徳一先生(故人)のご自宅、防衛省の研究機関である防衛研究所を中心に調査を実施してきました。

その後、有本先生が海軍対潜学校4期の卒業生であったと判明したため、今回は、最終調査として、関口助教が、その追悼文集が所蔵されている立命館大学国際平和ミュージアムを訪れました。調査の結果、「有本彦六学生」と題した追悼文や所属班の集合写真などを閲覧・収集しました。奇しくも、調査日の2025年4月25日は、有本先生の80回目の命日でありました。

私たちは、愛する仲間や教え子が待つ体操競技場に再び戻る日を夢見て亡くなられた有本先生の無念を忘れてはなりません。改めて、有本先生のご冥福を心よりお祈りいたします。また、約1年半に及ぶ調査にご協力いただいた皆様、誠にありがとうございました。調査の結果は、『オリンピックスポーツ文化研究』第10号で公開予定です。
研究所は、戦後80年を迎える2025年度より戦没同窓生名簿の作成をスタートしました。本学の、戦没同窓生に関する情報や戦前・戦後まもなくの歴史に関する情報(史資料寄贈に関するご相談等)がございましたら、研究所(下記)までお知らせください。
※史資料の寄贈に関しましては、ご希望に沿えない場合もございますので、予めご了承ください。

【お問合せ先(宛先):日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所】
氏名、連絡先、お問合せ内容を明記の上、下記のいずれかの方法でご連絡ください。