体操ニッポンの若きエース、内村航平。
十年に一人の逸材といわれ、高校三年のときに高校選抜と全日本ジュニアの二冠を達成。将来への期待を一身に集めて、体操競技の名門である日体大に進んだ。
「具志堅教授も、畠田准教授も、オリンピックでメダルを獲った人。世界で一番大きな大会を経験している先生なら、普通の指導者とは違うことを教えてもらえる。そう考えて日体大を選びました」
内村の期待どおりに、体操競技部に入ると畠田准教授が大舞台における戦い方を伝授してくれた。「一つの種目に失敗しても、次からしっかりやれば必ず順位は上がる。そう信じるように」と。指導者だけではない。日体大の練習設備も期待した以上だった。体操競技館を初めて見たときのことだ。
「まず広さに驚きました。そして鉄棒も、吊り輪も、すべての種目の器具が二台ずつあって、トランポリンもたくさんある。正直、すごいと思いましたね。こんな体育館は見たことありませんでした」
日体大の体操競技部に所属したことで、練習に対する姿勢も変わった。「それまでは調子が悪いと『もういいや』という気持ちになって、楽な練習しかやらなかったのです。ところがユニバーシアードの代表になり、合宿に参加したところ、まわりを見るとそんな人は一人もいない。自分もそうならなければと思いましたね」
内村は日体大でさらに力をつけ、二〇〇七年インカレ個人総合優勝、ユニバーシアード床運動優勝を果たした。そして二〇〇八年五月の五輪代表決定競技会で個人総合二位になり、十代で代表となった。男子では十二年ぶりの快挙だ。内村は、もし日体大に入っていなかったら代表になれなかったかもしれないという。それだけ、日体大という環境が自分を強くしてくれたと実感している。
内村が好きな言葉は「マイペース」だ。体操競技はマイペースでやるものと考えているので自分のモットーにしている。
「たとえば新しい技を覚えるにしても、人から強制されて覚えられるものではありません。練習の中で『自分もあの技をやってみたい』と思えたら挑戦するようにしています」 内村のスイッチが入ると、具志堅教授達が惜しみなく指導してくれる。
両親は元体操選手。自宅で体操クラブを運営しており、子どもの頃からトランポリンに慣れ親しんできた。「回ったり、ひねったりが好き」という内村。演技の美しさとスピードが持ち味になっている。体操競技の採点法は、従来の十点満点の減点法から、上限のない加算方式に変わった。ミスをしないのではなく、難易度の高い技に積極的に挑戦しなければ勝てない。
そんな現在の体操競技に自分はあっていると内村はいう。指導にあたる具志堅教授は、ひねりのスピードと位置感覚がとくに素晴らしいと評価する。パワーが備われば、世界で戦える。
今の課題は吊り輪の力技だ。
「同じ体操競技の選手でも、一人ひとり筋肉の質が違います。筋肉の質がよい人が少し練習してできる技も、僕は人の二倍練習しなければできない」
苦しいことがあっても内村はめったに弱音は吐かない。はにかみがちの笑顔と華麗な演技の影には、人一倍の努力がある。目標は、ロサンゼルス大会における具志堅教授のように、個人総合で金メダルを獲ることだ。
「個人総合の金メダリストになることは、体操で世界一になるということ。具志堅教授は凄いと思うし、自分も同じ位置に立てたらいいですね。北京ではノーミスで個人総合の決勝に必ず残りたいと思います」
体操の頂点を極めた具志堅教授たちに見守られながら、内村は夢に挑戦する。北京でも日本の期待に、必ず応えてくれるだろう。
内村 航平 (うちむら・こうへい)
1989年長崎県諫早市生まれ。東京・東洋高校-日体大体育学部体育学科2年在学中。
父が開いた「スポーツクラブ内村」で、3歳から体操を始める。中学卒業後、上京し、名門・朝日生命体操クラブに入門。07年大学1年でインカレ個人総合優勝。 07年ユニバーシアードでも床運動で優勝。体操ニッポンの若きエースとして期待されている。160cm、54kg。19歳。