近代五種は、射撃(エアーピストル20発)、フェンシング(エペ)、水泳(200m自由形)、馬術(障害飛越)、ランニング(クロスカントリー3000m)を1日で行い、5種目の総合得点を競うオリンピック種目。銃刀法の関係もあり、自衛隊か警視庁に所属する以外に競技する手段がないので、国内の競技人口こそ少ないが、それでも世界トップレベルの中国や韓国の選手に迫る競技力を誇る選手がいる。
その選手が激戦のアジア・オセアニア選手権を戦い抜き、北京オリンピックへの出場権を手にした村上佳宏さんだ。
「人それぞれに苦手種目、得意種目があり、その中で5種目の総合得点で勝負するのがこの競技のおもしろいところ。Aという射撃が得意な有力選手が、射撃でコケたのに苦手の馬術で取り戻して優勝するというようなこともあります。とはいっても5種目の総合力が問われるので、実力のない選手が大番狂わせを演じることもない。しかし、ある一定の水準以上の選手であれば誰にでもチャンスがある、ということです」。
村上さんは、5歳からはじめた競泳を大学でも続けようと、日体大へ進学する。
「大学時代の競泳では、インカレまでは出られても、全日本までは出られない。ごく平凡な選手でした。今思えば、記録が伸び悩んでいたのは自分自身の練習に対する意識が低かったからだと思いますね。」
日体大卒業時に、「身体の線がしっかりしていて、筋肉のバランスがいい」と適性を見抜いた、当時水泳部の監督だった浜田元輔准教授のすすめで近代五種へと転向。
「水泳とは大学を卒業しても生涯付き合っていくつもりでしたが、プラスαの種目がある近代五種に興味が湧き、挑戦してみようと自衛隊体育学校を志しました。今は競技だけに集中できる環境ですが、この体育学校との契約は1年ごとの更新で、“世界で戦えない”と判断されると次の年からは隊の任務に戻る決まりになっています。ここにいる選手達のモチベーションは凄まじいものがあります。全体での練習は1日3~4種目行いますが、私は早朝と夜間の自主練習で不足部分を補っています。」
04年のアテネオリンピックの予選では悔しい思いも経験した。
「オリンピックに出場できるのは2位まで、4種目を終えた時点で2位。最後のランで自分にプレッシャーをかけてしまい、結局6位に転落してしまいました。あのときの、後ろの選手に抜かれていく感覚と悔しさは今でも忘れません」。
最後に、北京オリンピック出場を決めた瞬間と、北京オリンピックへの意気込みを聞いた。
「予選の日がちょうど妻の誕生日だったので、何としても、と思いましたね。決まった瞬間は、家族、職場、応援してくれる皆のおかげだなあ、と実感しました。その恩返しの意味でも、北京での目標はセンターポールに日の丸を掲げること。近代五種は最後まで何が起こるかわからない競技なのでチャンスはあるはず。しっかりと結果を出して、一人でも多くの人にこのスポーツの存在を知ってほしいという思いは強いですね」。
村上佳宏 (むらかみ・よしひろ)
1976年静岡県生まれ。
東京オリンピックマラソン銅メダリストの円谷幸吉氏など多数の五輪選手を輩出した埼玉県朝霞市の自衛隊体育学校に所属、海上自衛隊三等海尉。5歳から水泳をはじめ、1988年のソウルオリンピックで鈴木大地選手の金メダル獲得を見て、オリンピックへの憧れを抱く。大学卒業と同時に近代五種に転向。2006年全日本選手権優勝。2007年アジア・オセアニア選手権5位に入り、北京オリンピック出場が内定する。
自衛隊体育学校で知り合った愛妻の手作り炊き込み五目おにぎりを試合前に必ず食べるという。得意種目は射撃、フェンシング、馬術。