アーチェリーの強豪国、韓国で小学校5年生のときから英才教育を受けた早川浪。
全北体育学校を卒業後は実業団チームに所属。その間にヨーロッパジュニアグランプリ優勝、国内大会で銅メダルなどの成績を残しながらも、自分の生き方に疑問を持ち始めていた。
「私は小学校、中学校、高校と競技に専念しなければならず、授業をあまり受けることができませんでした。実業団チームに所属したことをきっかけにアーチェリー以外の世界を知り、いろいろ勉強したくなったのです」
競技を続けながら勉強する方法を探るうちに、母が住む日本への留学を考えるようになった。当時のアーチェリーの指導者に相談したところ、日体大を勧められた。清田寛教授の存在、韓国出身の金コーチの指導力が理由だった。一人ひとりの個性を尊重しながら指導してもらえる。コミュニケーションの面でも韓国語で会話できる金コーチがいる。早川は迷わず日体大に進むことを決心した。
「最初は外国人の私を周囲が受け入れてくれるかとても心配でした。でも同級生や先輩は私に声をかけてきてくれたり、日本語の会話を教えてくれたり、とてもやさしくしてくれたのです」
とはいえ、韓国と日本の違いに面食らったことも多かったという。たとえば韓国では遠征先のホテルの予約などはすべてサポートスタッフが行う。選手が練習と試合に専念するためだ。
しかし、日本ではこういった雑用もすべて選手が手分けして行っていた。「韓国にいたころ、甘やかされすぎていたかなと思います。おかげでいろんなことが自分でできるようになりました」
これまで早川は2007年世界室内選手権優勝、同年ワールドカップで1363点の日本記録を樹立するなどの実績を上げてきた。しかしアーチェリーの強豪国、韓国からきたということがプレッシャーになることもあった。
「結果を出さなければと焦って、自分でプレッシャーをかけていたんです。一時は試合に出るのがいやになるほどでした」
もともと試合では緊張しやすい性格。そんな早川が興味を持ったのは心理学の授業だった。どうしたら緊張をやわらげることができるのだろう? 心理学の黒田先生に相談を持ちかけた。
「たとえば試合で緊張してしまったら、清田教授の面長の顔を思い出すようにすればいいんじゃないかな。思い出すためにアゴをさするしぐさをしたらどうだろう」 さっそく最初のオリンピック選手選考会でこの手を使ってみた。緊張で腕が震える。弓を引くこともできない。そこでアゴをさすってみた。清田教授の面長の顔が目に浮かび、笑うことができた。早川はその後の選考会にも勝ち進み、北京への切符を日体大で一番早く手に入れた。
いま早川は、国立スポーツ科学センターでメンタルトレーニングも行っている。週に一度、一週間のできごとを話す。話題は何でもいい。旅行のこと、趣味のこと、何でも話す。それに対して出された質問に答えていく。そのプロセスから自分の長所が見えてくる。アーチェリーにも前向きに取り組めるようになる。
「なんだか心が軽くなる感覚なんです。心理的にも安定していて、試合が楽しいと感じられるようになりました」
早川にとってオリンピック出場は子供の頃からの夢だ。北京での目標は、個人、団体とも金メダルを獲ること。表彰台の真ん中に立つ自分や、金メダルを獲得してインタビューに応える自分を今からイメージしている。
「とくに団体戦で金メダルが獲りたいですね。その方がチームみんなで盛り上がれて楽しいじゃないですか!」
アーチェリーはトーナメント形式の一騎打ちで争われる。早川はどんなピンチでもあせりを顔に出さない。だが心の中は弓を引くことができないほどの緊張感に襲われている。そんなとき、早川がアゴをさするシーンが北京オリンピックで見られるかもしれない。そして笑みを浮かべる。そのとき早川は、心の中に恩師、清田教授の面長の顔を思い浮かべながら勝利への一矢を放つのだ
早川 浪 (はやかわ・なみ)
1984年韓国全州生まれ。全北体育学校-日体大体育学部体育学科4年在学中。
06年1月、日本国籍を取得。07年世界室内選手権(トルコ)優勝。同年ワールドカップ(トルコ)で女子予選ラウンド(144射:30m50m60m70mの距離を各36射:1440点満点)で1363点の日本記録を樹立、同年世界選手権(ドイツ)では、女子リカーブ個人70m(36射:360点満点)で336点の日本記録も樹立。妹の漣さんも日体大アーチェリー部(2年)。166㎝。