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日体大とオリンピックの歴史
ギリシャ・アテネで第1回の近代オリンピック大会が開催される2年前、1894(明治27)年に結成された国際オリンピック委員会(IOC)。 その3年前、1891(明治24)年に設立された本学の源流である「体育会」(翌年「日本体育会」に改称)。
ほぼ同じ時代を歩んできた日本体育大学と近代オリンピックはこれまでも、これからも、 時に協力しながらスポーツの振興に貢献していきます。
ほぼ同じ時代を歩んできた日本体育大学と近代オリンピックはこれまでも、これからも、 時に協力しながらスポーツの振興に貢献していきます。
1896
第1回アテネ大会(ギリシャ)。
日本体育会(現・日本体育大学)は、体育の奨励・推進の観点からいち早くオリンピックに注目。日本体育会機関紙『文武叢誌』(第29、30号)で紹介。
日本体育会(現・日本体育大学)は、体育の奨励・推進の観点からいち早くオリンピックに注目。日本体育会機関紙『文武叢誌』(第29、30号)で紹介。

1900
日本体育会監事・山根正次が第2回国際体育会議に日本を代表する体育団体のメンバーとして出席。
1905年には、日本のオリンピック初参加に向けて委員会を設けるよう、ギリシャ皇太子が書簡で山根正次に要請。
1905年には、日本のオリンピック初参加に向けて委員会を設けるよう、ギリシャ皇太子が書簡で山根正次に要請。
1909
日本体育会会員(後に顧問、大日本体育協会初代会長)の嘉納治五郎がIOC委員に就任。
第5回ストックホルム大会(スウェーデン)への日本選手の参加をIOCから要請され、日本体育会会長・加納久宜に出場選手を選出・派遣するための組織づくりを依頼。
第5回ストックホルム大会(スウェーデン)への日本選手の参加をIOCから要請され、日本体育会会長・加納久宜に出場選手を選出・派遣するための組織づくりを依頼。
1912
第5回ストックホルム大会(スウェーデン)。
日本がオリンピックに初参加。
日本がオリンピックに初参加。

1928
第9回アムステルダム大会(オランダ)。
日本体育会体操学校(現・日本体育大学)出身生として初めて中澤米太郎が出場し、棒高跳びで6位入賞(記録3.90m)。開会式では日本選手団の旗手も務めた。
第9回アムステルダム・オリンピック大会開会式の日本選手団旗手・中澤米太郎選手
日本体育会体操学校(現・日本体育大学)出身生として初めて中澤米太郎が出場し、棒高跳びで6位入賞(記録3.90m)。開会式では日本選手団の旗手も務めた。
第9回アムステルダム・オリンピック大会開会式の日本選手団旗手・中澤米太郎選手

1949
日本体育大学設立
新制大学として認可され、日本体育大学が設立されました。当初は体育学部体育学科のみという単科大学としてスタートし、新時代に求められる体育教員の養成を目指しました。東京から遠く離れていたため、初年度の入学者は64名。
新制大学として認可され、日本体育大学が設立されました。当初は体育学部体育学科のみという単科大学としてスタートし、新時代に求められる体育教員の養成を目指しました。東京から遠く離れていたため、初年度の入学者は64名。

1964
第18回東京大会(日本)。
日本体育大学は全学的な協力体制を実現。ボランティアとして大会運営をサポートするほか、オリンピック前に開催されたオリンピック東京大会横浜フェスティバルの模範演技に出演。オリンピック・ムーブメントの盛り上げに大きな役割を果たす。以降、日本体育大学はトップアスリート育成を強化。優れた選手、指導者を多数輩出しています。
日本体育大学は全学的な協力体制を実現。ボランティアとして大会運営をサポートするほか、オリンピック前に開催されたオリンピック東京大会横浜フェスティバルの模範演技に出演。オリンピック・ムーブメントの盛り上げに大きな役割を果たす。以降、日本体育大学はトップアスリート育成を強化。優れた選手、指導者を多数輩出しています。

2014
日体大アスリートサポートシステム(NASS:Nittaidai Athlete Support System)開始。日体大が蓄積してきた技術力向上の知見を集結した「日体大アスリートサポートシステム」により、世界で活躍できる選手を多く輩出・育成するための学生アスリート支援を行う。
文部科学省では、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた国際貢献策としての「スポーツ・フォー・トゥモロー」プログラムの一環として、平成26年度から、スポーツ・アカデミー形成支援事業を実施することになり、本学が委託先として決定。
文部科学省では、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会に向けた国際貢献策としての「スポーツ・フォー・トゥモロー」プログラムの一環として、平成26年度から、スポーツ・アカデミー形成支援事業を実施することになり、本学が委託先として決定。

2015
日体大付属の研究所としてオリンピックスポーツ文化研究所設置。幅広い視点からのオリンピック研究を展開。

2016
国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長に日本体育大学名誉博士称号(第11号)授与。授与式には竹田恒和日本オリンピック委員会会長、森喜朗東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長が出席。東京・世田谷キャンパスに記念のオリーブを植樹。
日体大に関係のあるオリンピアンが集い、日本体育大学オリンピアンズクラブ設置。
日体大に関係のあるオリンピアンが集い、日本体育大学オリンピアンズクラブ設置。

2021
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会において、教授、学生が医療スタッフ、ボランティアとして協力。
日本体育大学創立130周年。
日本体育大学創立130周年。

2022
2022年北京オリンピック・パラリンピック競技大会。日体大から学生、卒業生8名が選手として出場。
