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トップアスリートのコンディショニングと休養学について

 現在、日本オリンピック委員会の情報・科学サポート部門長や日本陸上競技連盟科学委員会委員長として、陸上競技をはじめ様々な競技種目のトップアスリートを対象とした強化支援に関わる医・科学サポート活動をこれまで30年以上にわたり行ってきています。アスリートは、日々のトレーニングをより効果的に行い、そのトレーニング効果を最大限に発揮して競技成績につなげるために、トレーニングが効果的かつ継続的に行われることが大切です。そのためには体調管理として日々の体調の可視化と、疲労からどう回復させるかを考える必要があります。トレーニングに対してリカバリーが不足すると体調は悪くなり、十分なリカバリーができれば超回復が得られるからです。したがって、オーバートレーニングを防ぐためには、どの指標を用いて選手の体調を可視化するかは強化現場において極めて重要なことであるといえます。コンディショニングとは、心と体の状態を試合や重要な練習に向けて好ましい方向に整えていくことであり、栄養や休養、リラクゼーション、軽い運動や環境整備なども含み、総合的で短期的もしくは継続的な対象者自身への全ての働きかけを指すといわれています。

 2002年10月13日のシカゴマラソンで3位になり、2018年まで日本最高記録となった2時間06分16秒を樹立した高岡寿成(カネボウ)選手を1997年から10年以上にわたってコンディションサポートを担当させていただきました。毎日の日課として、睡眠時間、脈拍、血圧、体温、体重、をセルフで計測し、走行距離(朝、午前、午後)、寝起きの体調、練習時の負担度、体調(いずれも10段階)、故障の程度(6段階)、合宿場所、昼寝の時間等を日誌に記載してもらいました。10年に及ぶ記録から、本当に調子が悪い時には、脈拍数は上がらないこと、血圧も同傾向であったこと、特に高い値を数日示した後に急激に低下する場合は要注意であることなど、体調の良し悪しを判断するセーフティネットとして有益な情報になっていました。また、高岡選手はハートレイトモニターを用いて、オリンピック、世界陸上等以外の大会、練習時に常に心拍数を計測しており、愚直なまでにやり続ける継続性と自分の身体を科学(知る)すること、が彼の特長として特筆される点でした。「引退まで記録し続けた日々のデータをグラフに表すと、取り組んできたことが面白いように見える。自分にしか当てはまらない唯一無二のデータは、競技を支える柱となった」と本人も述懐しています。
 現在では様々な測定機器を用いながら簡便で容易に毎日のチェックや定期的なチェックを行うことが可能となっています。腕時計で運動中や睡眠中の脈拍数や自律神経活動を計測できるばかりでなく、指輪(Oura Ring)で睡眠中の体温、脈拍数、日中の身体活動量が計測できる精度の高いディバイスがNBAの選手のコロナ対策や今夏のオリンピックでも日本代表選手の体調管理に活用されています。これは、フィンランドのOura社が2013年に開発されたもので、指輪の内側に装着されている赤外線センサーによってフォトプレチスモグラフィー(PPG測定)技術を用いて脈拍数を、温度センサーにより負特性サーミスタを用いて体温を、加速度センサーによって身体の動きを把握し、独自のアルゴリズムで体調や睡眠を評価してくれるものです。テクノロジーの進化に伴いこのようなウェアラブルセンサが今後も登場し、簡便に高精度な情報が収集できるようになることが期待されます。

 スポーツのコンディショニングには、こうしたディバイスを用いた疲労などの測定評価やトレーニング法、疲労回復のための食事、入浴、睡眠、身体のケア、リラックスのための音楽、香り、瞑想、衣服、環境など多岐にわたる要素や活動が関係します。ここには、科学的根拠のある知識と確かな技術に基づく人々の身体と心の健康を保つために必要とされる「休養」のエッセンスがふんだんに包含されています。わが国では幼少期から大学までどの段階をみても系統的な休養に対する教育が行われておらず、今や国民の約5人に3人は疲労を抱え、疲労解消のための休養に悩む人々が急増していることが明らかとなっています。
 健康の3要素として運動・栄養・休養は広く知られ、運動学、栄養学はそれぞれ学問的に体系化され、実社会の中で認識され浸透しています。しかし、休養は、休養学という体系化はもとより、言葉すら見当たらないのが現状であり、コンディショニングという概念、取り組みそのものこそが望ましい休養の在り方を考える鍵になるといえます。このような背景からスポーツにおけるコンディショニングを踏まえて「休養学」を確立させる一端を担うべく『休養学基礎』という書籍を本年7月に上梓しました。アスリートを対象としたスポーツ・医・科学分野における科学的根拠のある知識と技術に基づく休養の概念、休養の体系化を「休養学」として規定しました。トップアスリートのコンディショニングの研究を推進するとともに、あらゆる人々が元気で生き生きとした活力ある社会の創造に寄与するべく「休養学」の発展についても期待したいと思います。

小林寛道:コンディショニングとは.トレーニング科学研究会編 コンディショニングの科学,朝倉書店:東京1‐9.1999
高岡寿成:トラック競技もマラソンも「考えるトレーニング」を続けて世界と戦った.ランナーズ44(11)571,p85,2019
Jessilyn Dunnら:Wearables and the medical revolution. Per Med15(5):429-448, 2018. doi: 10.2217/pme-2018-0044.
杉田正明、片野秀樹:休養学基礎.メディカ出版:東京、2021.

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