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沿革
『国民体育の振興』と体操練習所
1891年(明治24年)、東京市牛込区に日本体育会が創立されました。そして1893(明治26)年3月3日、本学の前身である日本体育会体操練習所の設立が認可されます。設立母体である日本体育会では、設立当初から体育(体操)教員養成を企図していたわけではありませんでした。本会は国民の体位、体力の向上を図るために”国民体育の振興”を目指し、会員制の体育クラブ(現在のスポーツクラブやフィットネスクラブのようなもの)を結成して人びとを誘うように努めましたが、国民一般の理解を得られず、民間体育(社会体育)の振興によるだけではなく、学校という窓口を通して事業の展開を行うという方針を追加しました。まさしく『国民体育の振興』こそが日本体育会体操練習所の建学の精神であり、現在の本学に営々と息づいているものなのです。
『準国立』としてのステータス 日本体育会体操学校
その後、1900(明治33)年に各種学校へと改組され、日本体育会体操学校と改称し、体育教員養成機関への脱皮が図られました。1899年(明治32)年から5か年間、国庫補助金を受けるなど『準国立』としてのステータスを受けながら、女子の体操教員の養成に着手したのもこの時期からです。 この時期に、実質的には高等師範学校体操専修科と同程度の役割を担っていた日本体育会体操学校は『体育を専門とする大学』への道を切り開きたいとの願望を抱くようになりました。しかし、専門学校に匹敵する学校にまで発展しているとはいえ、各種学校のままであったために、どうしても大学へのステップとして本校を専門学校へと昇格させておかねばなりませんでした。
戦争従業と日本体育専門学校
1941年(昭和16)年、この年念願の日本体育専門学校の設立を見ることになります。しかし当時の人びとの生活は戦時色に塗り潰されはじめていました。1937年(昭和12)年には日中戦争が、1939年(昭和14)年には第2次世界大戦が始まり、新生日本体育専門学校も戦争の呪縛から逃れることができず、大きな歴史の渦の中に飲み込まれていったのです。 1945年(昭和20)年敗戦。多感な青春の多くの生命が散り、校舎、運動施設の大半を戦災で失ったなかで、日本体育専門学校の教育は再開されました。1946年(昭和21)年、日本体育専門学校は学則の改正を行い、従来の教育方針を180度転換させ、『民主体育』の推進に力を注ぐことを内外に表明しました。
体育スポーツの総合大学として 大学、短期大学の歩み
そして1949年(昭和24)年、長年来の悲願であった日本体育大学の設立が認可され、大学としての一歩を踏み出しました。またこの時期、1945年(昭和20)年には婦人参政権が認められ、社会の表舞台へ女性が躍り出たことが象徴しているように、戦後、女性はスポーツの世界に進出し、職業として体育教員を志す女性も増えてきました。こういった社会情勢を背景に、1953年(昭和28)年『教養豊かな女子体操指導者』の養成機関として日本体育大学女子短期大学(体育科)が設立され、1963年(昭和38)年には『幼児体育に秀でた幼稚園教諭の養成』を目的に保育科が開設され、体育科とともに、短期大学の新たな歴史と伝統を築いていくことになります。
日本体育大学はその後、社会や時代の要請に対応すべく、1962年(昭和37)年に健康学科、1965年(昭和40)年に武道学科、1975年(昭和50)年には社会体育学科をそれぞれ設立させ、体育スポーツの総合大学としての地位を確固たるものにするとともに、多くの役割を担いながら今日に至っています。
科学とヒューマニズムに裏打ちされた『研究』と『人間教育』
1964年(昭和39)年に開催された東京オリンピックは、さまざまな形で本学に大きな影響を及ぼした大会でした。選手・役員としての参加はもとより、オープニング・セレモニーや大会補助役員としての本学学生の参加などもあり、大学はスポーツ一色に塗り潰されていきました。以後日本体育大学はスポーツのイメージを膨らませながら、体育・スポーツの科学的研究や指導者(学校における体育教員、社会体育の指導者、武道の指導者、健康のアドバイザー、競技スポーツの指導者など)の養成という大きな柱に加えて、トップアスリートの養成にも力を注いできました。またスポーツだけにかかわらず、日本のあらゆる産業の担い手としての力量を兼ね備えた人間の養成も大きな課題として今、クローズアップされています。
21世紀がスタートし、これからも、国民の健康と体力向上、スポーツの振興、普及、競技力の向上など科学としての、そして文化としてのスポーツの発展やスポーツ産業を中心とした日本の産業の発展に寄与しながら、過去の重い歴史を教訓としつつ、人間性豊かな社会の実現と世界の平和と民族の友好のために主体的に貢献していきます。 本学は「科学とヒューマニズムに裏打ちされた『研究』と『人間教育』」という理念を高く掲げ、開かれた大学として、また一歩前へ踏み出そうとしています。
年表
1891年(明治24年) | 8月 | 日高藤吉郎、東京市牛込区に体育会を創立 |
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1892年(明治25年) | 6月 | 体育会を「日本体育会」に改称 |
1893年(明治26年) | 3月 | 日本体育会体操練習所を東京市麹町区飯田町4丁目に設置 |
4月 | 同所にて授業を開始 | |
1898年(明治31年) | 1月 | 閑院宮載仁親王を総裁に推戴 |
1899年(明治32年) | 5月 | 女子(遊戯)部を設置 |
1900年(明治33年) | 4月 | 体操練習所及び模範体操場が麹町区飯田町1丁目字牛が淵に完成し、移転 |
5月 | 体操練習所を日本体育会体操学校と改称、文部大臣の監督を受ける各種学校となり、本科1年、別科6ヶ月の課程を置く | |
1901年(明治34年) | 9月 | 日本体育会を社団法人組織に改組、旧日本体育会会員39,559名に達する |
1903年(明治36年) | 4月 | 体操学校に女子部を開設し、普通科1年の課程を置く |
1904年(明治37年) | 9月 | 日本体育会及び体操学校男子部を東京府荏原郡大井村の新築校舎へ移転 |
1906年(明治39年) | 4月 | 校歌を制定(鳥居忱作詞、石橋蔵五郎作曲) |
1907年(明治40年) | 3月 | 体操学校内に医療体操部を開設 |
1918年(大正7年) | 5月 | 女子部創立15周年記念祝賀会を挙行 |
1921年(大正10年) | 11月 | 日本体育会創立30周年記念式を挙行 |
1926年(大正15年) | 4月 | 日体独自の応援スタイル「エッサッサ」完成(考案者:平井一) |
1932年(昭和7年) | 2月 | 創立者日高藤吉郎が死去、成城学校と合同葬を行う |
1933年(昭和8年) | 4月 | 体操学校に高等師範科3年(国語兼修)の課程を設置し、在籍総定員制1,200名を採用 |
1937年(昭和12年) | 12月 | 日本体育会及び体操学校男子部を深沢(現在地)に移転 |
1940年(昭和15年) | 4月 | 社団法人を解散、財団法人日本体育会に組織変更 |
1941年(昭和16年) | 4月 | 日本体育専門学校(体操学校から昇格)開校、男子部本科3年、師範科2年(昭和16年度限り)、女子部師範科2年 |
10月 | 日本体育専門学校卒業生戦没者51名を合祀祭を挙行 | |
11月 | 日本体育会創立50周年記念式典を挙行 | |
1946年(昭和21年) | 4月 | 日本体育専門学校が土浦海軍航空隊跡地に移転、入学式を行う |
1948年(昭和23年) | 3月 | 米本卯吉、理事長に就任 |
1949年(昭和24年) | 4月 | 日本体育大学体育学部体育学科を開設 |
9月 | 日本体育大学第1回入学式を行う | |
1950年(昭和25年) | 3月 | 初代学長、栗本義彦就任 |
1951年(昭和26年) | 3月 | 財団法人日本体育会から学校法人日本体育会に組織変更 |
3月 | 日本体育大学が土浦から深沢へ全面復帰 | |
1953年(昭和28年) | 4月 | 日本体育大学女子短期大学体育科開設 |
1954年(昭和29年) | 9月 | 第1回体育研究発表実演会を東京都体育館で開催 |
1960年(昭和35年) | 4月 | 日体保育科(保母養成施設)を大学内に開設 |
1962年(昭和37年) | 4月 | 日本体育大学体育学部健康学科を開設 |
1963年(昭和38年) | 4月 | 日本体育大学女子短期大学保育科を開設 |
1965年(昭和40年) | 4月 | 日本体育大学体育学部武道学科を開設 |
1967年(昭和42年) | 9月 | 日本体育大学、第1回学園祭を開催 |
1968年(昭和43年) | 9月 | 健志台起工式を行う |
1971年(昭和46年) | 4月 | 日本体育大学体育専攻科を開設 |
8月 | 日本体育大学健志台グラウンド開きを行う | |
1972年(昭和47年) | 4月 | 学長代行、清水正一就任 |
11月 | 学校法人日本体育会・日本体育大学創立八十周年記念式典を挙行 | |
1973年(昭和48年) | 3月 | 第2代学長、清水正一就任 |
1974年(昭和49年) | 9月 | 米本正、理事長に就任 |
1975年(昭和50年) | 4月 | 日本体育大学体育学部社会体育学科を開設 |
4月 | 日本体育大学大学院体育学研究科(修士課程)を開設 | |
1979年(昭和54年) | 4月 | 第3代学長、岡田俊彦就任 |
4月 | 健志台教学局を開設 | |
1981年(昭和56年) | 1月 | 「日本(にほん)」体育大学から「日本(にっぽん)」体育大学へ呼称変更 |
1982年(昭和57年) | 4月 | 第4代学長、岩間英太郎就任 |
6月 | ドイツスポーツ大学ケルン、北京体育学院(現:北京体育大学)と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
1988年(昭和63年) | 4月 | 学長代行、綿井永寿就任 |
1989年(平成元年) | 2月 | 第5代学長、稲垣安二就任 |
1991年(平成3年) | 10月 | 学校法人日本体育会創立百周年記念式典を挙行(於日本武道館) |
1992年(平成4年) | 2月 | 第6代学長、綿井永寿就任 |
1995年(平成7年) | 4月 | 馬飼野正治、理事長に就任 |
1996年(平成8年) | 4月 | 大学の英文表記を「NIPPON SPORT SCIENCE UNIVERSITY」に変更 |
1998年(平成10年) | 1月 | 高嶋洌、理事長に就任 |
4月 | 大学院体育科学研究科博士(前期・後期)課程開設 | |
4月 | 第7代学長、塔尾武夫就任 | |
10月 | スポーツ局開設 | |
2001年(平成13年) | 3月 | 大学院博士第1号誕生(4名) |
4月 | 第8代学長、長谷川正明就任 | |
2002年(平成14年) | 1月 | 東京・世田谷キャンパス、深沢校舎グラウンド改修(人工芝) |
2月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第1号)、モンゴル国、サンジベグジーン・トゥムルオチル国家大会議議長閣下 | |
6月 | 古川敏治、理事長に就任 | |
2003年(平成15年) | 2月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第2号)、大韓民国、慶熙大学校・趙永植学園長 |
2月 | 慶熙大学校と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
2004年(平成16年) | 4月 | キャンパス内全面禁煙実施 |
9月 | 横浜・健志台キャンパスに体操競技館落成 | |
9月 | 短大体育科定員増認可(100名から120名に増員) | |
2005年(平成17年) | 3月 | 横浜・健志台キャンパス、陸上競技場改修(ブルートラック) |
4月 | 日本体育大学女子短期大学を日本体育大学女子短期大学部に名称変更 | |
4月 | 学長代行、落合卓四郎就任 | |
6月 | 上平雅史、理事長に就任 | |
6月 | 第9代学長、伊藤孝就任 | |
11月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第3号)、財団法人 坂口国際育英奨学財団 坂口美代子理事長 | |
2006年(平成18年) | 4月 | 日本体育大学女子短期大学部保育科を日本体育大学女子短期大学部幼児教育保育科に名称変更 |
4月 | 日本体育大学女子短期大学部に専攻科保育専攻を開設 | |
2007年(平成19年) | 2月 | 東京・世田谷キャンパス再開発、第1期工事着工 |
4月 | 学長代行、落合卓四郎就任 | |
7月 | 第10代学長、落合卓四郎就任 | |
2008年(平成20年) | 6月 | 塔尾武夫、理事長に就任 |
8月 | 東京・世田谷キャンパス再開発、第1期工事竣工 | |
9月 |
横浜・健志台キャンパス、サッカー場改修(人工芝) 東京・世田谷キャンパス再開発、第2期工事着工 |
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10月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第4号)、クウェート国 シェイク・アハマド・アル・ファハド・アル・サバーハ殿下 | |
2009年(平成21年) | 9月 | 日本体育大学、(財)日本高等教育評価機構による「平成20年度 大学機関別認証評価」を受審、「日本高等教育教育評価機構が定める大学評価基準を満たしている」と判断。認定期間は平成27年3月31日まで(7年間) |
2010年(平成22年) | 4月 | 学長代行、塔尾武夫就任 |
5月 | 東京・世田谷キャンパス再開発、第2期工事竣工 | |
6月 | 東京・世田谷キャンパス再開発、第3期工事着工 | |
9月 | 第11代学長、谷釜了正就任 | |
11月 | モンゴル国立体育大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
12月 | ドイツスポーツ大学ケルンと「新学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
2011年(平成23年) | 3月 | 日本体育大学女子短期大学部、(財)短期大学基準協会による「平成22年度第三者評価」を受審、「適格」と認定 |
4月 | 日本体育大学大学院体育科学研究科体育科学専攻博士前期課程に「体育実践学コース」を開設、ここに「コーチング学系」「スポーツ教育・健康教育学系」の2学系を設置、既設の3学系を「体育科学コース」とした | |
6月 | 松浪健四郎、理事長に就任 | |
6月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第5号)、前国際オリンピック委員会(IOC)副会長 猪谷千春氏 | |
12月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第6号)、元内閣総理大臣・衆議院議員・(公財)日本体育協会名誉会長 森喜朗氏 | |
2012年(平成24年) | 1月 | 東京・世田谷キャンパス再開発、第3期工事竣工 |
4月 | 学校法人日本体育会を学校法人日本体育大学に名称変更 | |
7月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第7号)、アフガニスタン・イスラム共和国 大統領 ハミド・カルザイ氏 | |
2013年(平成25年) | 4月 | 日本体育大学児童スポーツ教育学部児童スポーツ教育学科を開設 |
4月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第8号)、第七代・国際体操連盟(FIG)会長 ブルーノ・グランディ氏 | |
8月 | 世田谷ゲストハウス、新設和泉寮竣工 | |
10月 | 横浜・健志台キャンパス ラグビー場改修(人工芝) | |
2014年(平成26年) | 1月 | 国立パラツキー大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 |
2月 | 龍仁大学校と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
3月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第9号)、岡安商事株式会社 最高顧問・ 横綱審議委員会委員 岡本昭氏 | |
3月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第10号)、元龍仁大学校 総長・韓国オリンピック委員会 会長 金正幸氏 | |
3月 | 日本体育大学体育専攻科体育専攻を廃止 | |
4月 | 日本体育大学保健医療学部整復医療学科、救急医療学科を開設 | |
4月 | 日本体育大学社会貢献推進機構を設置 | |
6月 | 上海体育学院と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
10月 | カンピーナス大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
2015年(平成27年) | 3月 | 日本体育大学女子短期大学部閉校 |
4月 | 国立韓国体育大学校と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
6月 | リンネ大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
10月 | 日本体育大学スポーツキュアセンター横浜・健志台接骨院を開院 | |
11月 | ウズベキスタン体育大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
2016年(平成28年) | 1月 | 国立台湾体育大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 |
2月 | リトアニア体育大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
4月 | スタフォードシャー大学と「学術・スポーツ交流協定」を締結 | |
6月 | 学校法人日本体育大学創立125周年記念式典・祝賀会を挙行 | |
10月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第11号)、国際オリンピック委員会 第9代会長 トーマス・バッハ氏 | |
2017年(平成29年) | 3月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第12号)、日本体育大学名誉教授 池田敬子氏 |
3月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第13号)、学校法人日本体育大学理事長 松浪健四郎氏 | |
4月 | 第12代学長、具志堅幸司就任 | |
4月 | 日本体育大学スポーツ文化学部武道教育学科、スポーツ国際学科を開設 | |
4月 | 日本体育大学大学院教育学研究科実践教科教育学専攻博士(後期・前期)課程を開設 | |
2018年(平成30年) | 3月 | 日本体育大学名誉博士称号授与式(第14号)、日本体育大学名誉教授 元国務大臣 二階俊博氏 |
4月 | 日本体育大学スポーツマネジメント学部スポーツマネジメント学科、スポーツライフマネジメント学科を開設 | |
4月 | 日本体育大学大学院保健医療学研究科修士課程開設 | |
12月 | 日本体育大学クリニック開業 | |
2020年(令和2年) | 4月 | 日本体育大学大学院保健医療学研究科博士課程開設 |